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百 耕
Hyakko
明治11年に博多の櫛田前町(現冷泉町)に生まれ育ち、没年の昭和33年まで数百点の大絵馬を描いた絵馬師・吉村百耕。
昭和30年代までの日本では、地域の人たちがお金を出し合って厄除け、安全・健康・長寿などの共通の願いを叶えてもらうために、大絵馬を神社に奉納する習慣がありました。
そしてその庶民の願いを託されて絵馬を描く絵師の事を「絵馬師」と言い、福岡県福岡市の博多にいた最後の絵馬師が百耕だったのです。
百耕の200面近い大絵馬は、櫛田神社・筥崎宮・警固神社・鳥飼八幡宮・飯盛神社・桜井神社など、福岡県下の数多くの神社に現存しています。
博多最後の絵馬師 吉村百耕
博多最後の絵馬師
地域の想い
櫛田神社 絵馬
絵馬とは
The origin of Ema
古代よりわが国では、馬は神の乗り物として神聖視されていて、そのため祭事や雨乞い・日乞いのため生き馬の献上がしばしば行われていました。しかし馬自体が貴重で高価な動物であった事と、餌代と世話をする人の賃金など主として財政的な理由から、藁や土や木製の馬型になり、やがて板に馬の絵を描いた絵馬になりました。それが絵馬の原型ですが、室町時代から題材はさらに合戦図、大漁豊作、健康・安全・長寿祈願や歌舞伎などへと発展していったのです。
百耕の絵馬
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