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    まずは福岡市内と筑紫野市で見れる百耕絵馬のデータ更新しています。お住まいや勤め先のそばで見れる百耕絵馬、是非確認してみてください。大宰府・糸島市・宗像市周辺も逐次アップロード準備中。

    [post_title] => 福岡市内の百耕絵馬、もっとアップロード完了! [post_excerpt] => [post_status] => publish [comment_status] => closed [ping_status] => closed [post_password] => [post_name] => %e7%a6%8f%e5%b2%a1%e5%b8%82%e5%86%85%e3%81%ae%e7%99%be%e8%80%95%e7%b5%b5%e9%a6%ac%e3%80%81%e3%82%82%e3%81%a3%e3%81%a8%e3%82%a2%e3%83%83%e3%83%97%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%83%89%e5%ae%8c%e4%ba%86%ef%bc%81 [to_ping] => [pinged] => [post_modified] => 2024-08-29 06:55:50 [post_modified_gmt] => 2024-08-28 21:55:50 [post_content_filtered] => [post_parent] => 0 [guid] => https://hyakko.net/?p=370 [menu_order] => 0 [post_type] => post [post_mime_type] => [comment_count] => 0 [filter] => raw )
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N E W S
百 耕
Hyakko
明治11年に博多の櫛田前町(現冷泉町)に生まれ育ち、没年の昭和33年まで数百点の大絵馬を描いた絵馬師・吉村百耕。
昭和30年代までの日本では、地域の人たちがお金を出し合って厄除け、安全・健康・長寿などの共通の願いを叶えてもらうために、大絵馬を神社に奉納する習慣がありました。
そしてその庶民の願いを託されて絵馬を描く絵師の事を「絵馬師」と言い、福岡県福岡市の博多にいた最後の絵馬師が百耕だったのです。
百耕の200面近い大絵馬は、櫛田神社・筥崎宮・警固神社・鳥飼八幡宮・飯盛神社・桜井神社など、福岡県下の数多くの神社に現存しています。
博多最後の絵馬師 吉村百耕
博多最後の絵馬師
地域の想い
櫛田神社 絵馬
絵馬とは
The origin of Ema
古代よりわが国では、馬は神の乗り物として神聖視されていて、そのため祭事や雨乞い・日乞いのため生き馬の献上がしばしば行われていました。しかし馬自体が貴重で高価な動物であった事と、餌代と世話をする人の賃金など主として財政的な理由から、藁や土や木製の馬型になり、やがて板に馬の絵を描いた絵馬になりました。それが絵馬の原型ですが、室町時代から題材はさらに合戦図、大漁豊作、健康・安全・長寿祈願や歌舞伎などへと発展していったのです。
百耕の絵馬
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